平和祈念集会〜Remember Toshiya Kuge〜
 裏方レポート

AM9:30  実行委員はじめ各担当者が六稜会館前に集合。週間天気予報で心配させられた空は快晴、懐かしい顔を見て自然と笑顔がこぼれるが、その表情は皆、今日にかける意気込みが感じられた。全員集まり、今日の役割分担を話しているところで、久下のお母さんも到着。ここで、お母さんから挨拶され、そして、近づいてきた時間にあわせ、あるお願いをされた。時間は、まもなく10時。

AM10:06  人見の合図により、全員、黙祷。3年前のこの時間(現地時間)のことであった。久下のお母さんの「ありがとうございました」という声を聴き、池田(直)の掛け声で各自担当場所の準備に取りかかった。

AM10:30ごろ  続々とマスコミ各社が正門前に集まり始める。マスコミ担当の松岡が応対し、事前に作成したプリントをもとに、取材の注意事項を確認。同じころ、1階の受付の準備ができ、3階の久下ゆかりの品の展示場で久下のお母さんとともに展示用の布を手縫いで仕上げ、同じ3階の会場の準備も整い始めたかと思われたとき、問題が発生した。VTR上映のために作成したパワーポイントが、動かない...。

AM11:00ごろ  松岡に誘導され、続々とマスコミが会場に入る。会場内でも松岡がマスコミ各社の質問に答え、再度、取材の取り決めを確認。その後、マスコミに久下ゆかりの品を公開した。一部を除いて、撮影禁止の張り紙がされた。このころから、受付にも参加者が集まり始めた。

AM11:30ごろ  開場時間となり、参加者も会場に入る。111期だけでなく、他の六稜OBや高校時代の先生、授業を終えたばかりの高校生なども参加した。それぞれ、会場に入る前に久下ゆかりの品の展示を1つずつ、何かを思いながらじっと見つめていた。展示場は高校時代のサッカー用品や大学時代のアメフト用品の他、片方だけが残ったヘッドフォンや一部焼け落ちたTシャツなどが丁寧に並べられ、その1つ1つに説明書きが添えられた。会場のパワーポイントは・・・、どうやら他のノートPCを借り、無事リハーサルもできたようだ。

PM0:15  平和祈念集会、開式。司会担当は人見。入り口で久下の写真パネルが見守っていた。開場は約200人の参加者と10数社のマスコミでいっぱいであった。
1.開式の挨拶 111期同期会を代表して松岡が開式の挨拶を述べる。その後、小泉首相からのメッセージが読まれた。 松岡のあつい想いを託した言葉を聴いた後では、首相の言葉はどこか空虚であった。
2.学校長挨拶 現校長の中垣先生が前に出られたが、やはり久下のことを知る先生に、ということで現教頭の鎌田先生に引き継がれた。鎌田先生は戦争の跡の残る壁などとともに、この木が北野の歴史につがれるよう訴えられました。
3.黙祷 アメリカ同時多発テロで犠牲になられた方々に1分間の黙祷を捧げた。
4.VTR上映 宮崎が作成したパワーポイントを榎、池田(直)とともに上映。BGMが流れる中、幼少期の写真から始まり、高校時代の写真のシーンあたりから、会場のあちこちで感極まってすすり泣く声が聞こえてきた。旧校舎と講堂の渡り廊下で、久下が仲間と一緒にいる写真が印象的だった。旧校舎も講堂も、久下も、すべて、今は思い出の中だった。
5.思いの場 参加された方々がそれぞれの思いを話した。3年の担任であった山本先生やサッカー部顧問の井上先生、サッカー部の曽我、3年のクラスメイトの杉野、そして現役高校生の1年生の男の子女の子も手をあげて話してくれた。
6.母より・・・。 久下のお母さんからの言葉。
〜新大阪の新幹線ホームの階段を駆け上る後姿が、最後だった。果敢に犯人に立ち向かった姿と、周りの英語の会話がわからずただ1人おびえていた姿、私には両方が想像される。英雄になどならなくてよかった、ただ帰って来てほしかった。今も季哉の友達が来てくれて、今の生活の話などをしてくれる、そのことが私はうれしい。今日もこの場に季哉が来ているかもしれない。〜
あまりにも辛く、悲しい言葉であったが、お母さんは途中、涙につまりながらも、最後まで気丈に、しっかりした声で手紙を読まれた。会場が涙にむせび、私の後ろにいた女性記者もメモを取りながら泣いていた。
7.祈念合唱 『涙そうそう』を全員で合唱。久下を失った私たちの気持ちを素直に表しているこの曲を選んだ。 「あなたの場所から私が 見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく」 こぼれそうになる涙に、ほとんど声がかき消されてしまった。
8.祈念植樹 外に出ると地面が濡れていた。雨が降ったようだ。本当に久下が来ていたような気がした。木は久下がキーパーとして守っていたサッカーゴールのすぐ後ろに植えられた。この楠の木は常緑であること、そして何より、111期と同じ、24歳であることから選ばれた。止まった時間を動かしたい、一緒に成長したい、そんな想いが込められている。参加者にはコップ1杯の水が配られ、それぞれ、楠の木に手向けた。その後、宰田により、碑文が読み上げられ、この楠の木に「いのちの木」という名が授けられた。そして、それぞれ木を見上げて思いをはせた後、記念撮影が行われた。
9.閉式の挨拶 最後にこの植樹活動を最初に呼びかけた実行委員長の森口から挨拶。久下のお母さんを横に、力強く、この木とともに生きていく決意が述べられた。

PM2:00
 六稜会館に戻り、立食形式でのアフターファンクションが行われた。植樹のメイキングVTR(地面を掘り起こして地中に植える作業は4日に行われていた)を見ながら、懐かしい友人と言葉を交わす。何か、心の中で落ち着いたのだろうか、会場内に先ほどの涙はなく、皆、笑って話をしていた。

PM3:00 平和祈念集会終了。

PM3:30
 裏方のみんなや久下のお母さん、残ってくれた人たちで記念撮影。この1ヶ月半の間、何度も議論を重ね、時には深夜まで話し合って実現させた植樹と平和祈念集会がこうして、1つの区切りを迎えた。

 「久下に何かしてあげたい」1人のそんな想いがみんなに広がり、実現した。森口は最後の挨拶で「私たちにテロを阻止する力はない、でも何かできることがあるはず。」そう話した。この木を見た人は何を考えただろうか、これから見る人は何を思うだろうか、そんなきっかけを与えたことが私たちにできたことであった。小さな想いでもそれが積み重なったとき、何かになることができるのだろう。今回、来れなかった人も、いつか時間があるとき、大阪に帰ってきたときに母校に立ち寄って、この木の前に立ち、この木を見上げてほしい。きっと何か思うだろう、それはどんな小さなことでもいい。
(佐々智彦)
なってみなければならない。なる前から考えてもしかたない。
人間が成長し、向上するというのは新しい認識を創造することである。
しかし、それは理屈を理解することではなしえない。
そのためには考えることより行動することが大切であり、それが条件である。

当日配られたプログラムに掲載された久下季哉君直筆のメモ

平和祈念集会に来られたマスコミ各社
テレビ局:NHK、関西テレビ、テレビ大阪、ABCテレビ、テレビ朝日
新聞社:日経新聞、読売新聞、大阪日日新聞、朝日新聞、毎日新聞
その他:共同通信社
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